KALAW COFFEEをたどる100年。第1回|カローのコーヒーは、いつから始まったのか?

KALAW COFFEEをたどる100年。第1回|カローのコーヒーは、いつから始まったのか?

私たちは、ミャンマー東部、シャン高原の山あいにある町、カロー(Kalaw)でコーヒーを作っています。

自社農園でコーヒーを育て、周辺の村からチェリーを買い付け、Cafe Kalaw Coffee Factoryで精製する。

そして出来上がった生豆を、「KALAW COFFEE」として日本へ届けています。

そんな仕事を続けるなかで、以前から気になっていたことがありました。


そもそも、カローではいつ頃からコーヒーが育てられていたのだろう。

カローの町。2026年



せいぜい、100年くらい前だろうか

ミャンマーでコーヒーが栽培されるようになったのは、比較的新しい時代だと思っていました。

調べてみると、Myanmar Coffee Associationの資料には、1885年頃にミャンマー南部のMyeikやDaweiなどで宣教師によるコーヒー栽培が始まり、その後1930年にカトリック宣教師がアラビカ種をSouthern Shan State、つまり南シャン州へ導入したと記されています。

カローも南シャン州にあります。

ならばカロー周辺のコーヒーも、その頃から始まったのだろうか。

1930年から数えれば、まもなく100年。

それだけでも十分に長い歴史です。

ところが、もう少し古い資料を調べてみると、思いがけない記録に出会いました。



1903年、すでにシャン高原にアラビカがあった

英国統治時代の1903〜1904年。

当時のビルマ政府がまとめた行政報告書の中に、農業試験に関する記録が残っています。

そこには、政府がTaunggyiなど各地で試験農園を運営していたこと、そしてTaunggyiでArabian coffeeの種から育てた木が順調に生育していることが記されています。

Taunggyiは、現在も南シャン州の中心都市です。

そして、この記録は1903年。

一般に紹介されている「1930年の南シャンへのアラビカ導入」より、四半世紀以上も前です。

1917年のShan States地図。Source: Wikimedia Commons / Public Domain


もちろん、ここは慎重に考えなければなりません。

この資料に書かれているのはTaunggyiであって、Kalawではありません。

ですから、

「1903年にはカローでコーヒーが栽培されていた」

と断定することはできません。

ただし、

今から120年以上前、同じ南シャン高原ですでにアラビカコーヒーが育てられていた。

これは記録として確認できます。

考えていたよりも、シャン高原とコーヒーの関係はずっと古かったようです。



100年前のカローは、どんな町だったのだろう

当時のカローは、現在とはもちろん大きく違います。

英国統治時代、カローは標高の高い涼しい気候を持つ場所として知られるようになり、やがて避暑地として発展していきました。

1910年代には鉄道建設も進み、カローはシャン高原とミャンマー中央部をつなぐ交通の要所のひとつになっていきます。

古い行政報告にも「Kalaw」という地名は繰り返し現れます。1922年に成立したFederated Shan Statesにも、TaunggyiやLoilemとともにKalawの町が組み込まれていました。

カローの五日市。1999年

 

私が初めてカローを訪れたのは1998年です。

当時でさえ、どこか時間がゆっくり流れているような町でした。

松の木。

山の斜面。

朝晩の冷たい空気。

市場へ集まってくる周辺の村の人たち。

カロー郊外。1999年

 

もちろん、1998年のカローと100年前のカローは同じではありません。

それでも、古い資料を読みながら昔撮った写真を眺めていると、

この高原のどこかで、ずっと以前から誰かがコーヒーの木を育てていたのではないか。

そんな想像をしてしまいます。



「新しい産地」ではないのかもしれない

私たちはこれまで、カローを

「まだ世界にはほとんど知られていないコーヒー産地」

として紹介してきました。

それは今でも変わりません。

ただ、今回歴史を調べてみて、少し意味が変わってきました。

「知られていない」からといって、「新しい」とは限らない。

むしろカローは、

100年以上続く南シャン高原のコーヒーの歴史の中にありながら、その名前が世界へ届く機会がほとんどなかった土地なのではないか。

そんな可能性が見えてきました。


そして、ここで新しい疑問が生まれます。

もし100年以上前から南シャンにコーヒーがあったのであれば、

なぜ私たちは「KALAW COFFEE」という名前を、これまでほとんど聞いたことがなかったのでしょうか。

その答えを探していくと、今度はミャンマーのコーヒーと「海外市場」の歴史が見えてきました。



NEXT JOURNAL

KALAW COFFEEをたどる100年。
第2回|コーヒーは海を渡った。でも「KALAW」の名前は残らなかった。

1930年代には、すでに海外へ輸出されていたミャンマーのコーヒー。

それなのに、なぜ「KALAW COFFEE」という産地名は世界に知られなかったのでしょうか。

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